谷口茂寿先生
丹羽に関わりの深かった5人の先生方

 本郷神の教会牧師であられた谷口茂寿先生は、1930年(昭和5年)4月、教会に併設して「日本聖書学校 (加筆:2020年:参考写真) を開校された。2年制の神学校である。

 武本先生は谷口先生とじっこん昵懇であられたので、丹羽を推薦して下さり、第一期生として入学を許可されたのみならず、会堂わきの一室を提供して下さり、2年間の学びと共に、先生ご一家の一員としての厚遇を受けたのである。この間に、先生の牧会活動姿勢を具体的に学ばせて頂けた事は、真に感謝であった。

 そしてすでに婚約者となっていた私も先生方のお計らいで霊化集会から転会させて頂き、CS牧師としての奉仕と共に、新しい出発への備えのため、祈りの交わりを持つように導かれたのである。また丹羽のために、日英堂出版社略註聖書出版)勤務の道も谷口先生を通して与えられた事は、重ねての大きな感謝であった。

 1935年3月26日、神の教会に於いて谷口茂寿先生の司式にて挙式させて頂いた2人は、阿佐谷の新居に落ち着くと同時に、次の日曜日からは上萩の石原聖書研究会に出席して無教会の集会の在り方について学ばせて頂くようになった。したがって、谷口先生とは疎遠となり、『聖書生活』誌を購読させて頂くのみとなってしまった。

 1945年3月9日の東京大空襲で、本郷神の教会も消失、先生方のご消息も知り得ないでいたが、千葉県四街道に基督兄弟団による聖書農学園が計画され、責任者として招かれておられると知り、二人で久しぶりにお訪ねしたのであった。しかしこの件は中止になり、先生は練馬神の教会を牧会され、更に玉川聖学院院長として招かれ、草創期の基盤造りをなされたのである。

 1957年に、長年苦労を共にされた露子夫人が58歳で召天なさった事は、谷口先生にとってどんなに大きな痛手であったかと思う。後に風御子(ふみこ)姉と再婚されたが、その頃から私共もお招きによって時折お訪ねし、時には「自分のために祈って欲しい」と仰られ、丹羽の霊的体験についても質問をされることが多くあったのであった。

 1966年10月の当教会の献堂式には、ご多忙の中をご出席下さり、ご祝辞を頂いたのであった。

 1973年6月25日、77歳で召天された。その盛大な学園葬の司式をご遺言により丹羽がさせて頂いた事は、身に余ることであった。
 お導き頂いた期間は短く、平素は全く失礼を重ねていた私共ではあったが、先生は快く受け入れて下さり、その聖書信仰に立ったみことばへの信従や、誰に対しても謙虚であられたお人柄を通して多くを学ばせて頂き、私共の数少ない恩師としてここに記させて頂いたのである。

(参考図書『谷口茂寿――人と信仰』玉川聖学院発行)



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