最初の恩師・武本喜代蔵先生
丹羽に関わりの深かった5人の先生方

 武本喜代蔵先生は、かつて組合派大阪天満教会の牧師として熱心に牧会しておられたのだが、ある時ご自身の説教の力無さを痛感され、1920年(大正9年)6月のある夜、切々たる思いで夜を徹して祈り続けられ、ついに明け方頃、著しいキリストの臨在にふれ、「おお主よ、ありがとうございます。この喜び、この感謝、私は生涯忘れず地の果てにまでこれを宣伝いたします」と誓われ、「キリスト今なお猶い活きて働き給う」事の証人として立たれたのである。

 『霊花』及び『すくい』という小冊子を、日本国内はじめ、遠くアメリカ、ハワイ、フィリピンまでもはんぷ頒布され、多くの共鳴者が与えられ、それと共に先生は東京高田の馬場に霊化集会所を開かれたのであった。

 私共2人は、1928年にそれぞれの導きの中で、この集会に引き寄せられ、御霊に満たされた武本先生の祈りの中でキリストの救いにあずかったのである。

 1945年5月25日の東京大空襲で霊化教会の会堂も消失し、先生ご夫妻が中野でアパート住まいをしておられると知り、2人でお訪ねし、久しぶりに親しくお目にかかったのであるが、その折、「一度、丹羽君のところで集会を開きたい」とのお申し出があり、私共も喜んでお迎えする事にした。最初で最後の事となったが、阿佐ヶ谷駅前と教会の前に大きな看板が立てられ、霊化特別集会、講師として武本喜代蔵先生と共に谷口茂寿先生のお名前が大書されたのである。

 当日は分散していた霊化集会の方たちはもちろん、多くの方々が集われ、2階の2室や廊下にまでぎっしりの盛んな集会が持たれたのであった。

 この日、谷口先生のお名前に導かれて、塩山恒姉、小川かつよ姉が集われ、以後引き続いて当教会のメンバーとなって力強い証しと祈りで若い者たちを励まして下さった。また霊化集会の中井重俊兄も当方に熱心に集われ、数少ない兄弟として司会の任に当たられた。

 武本先生はその後、元の場所に会堂を再建され、1953年3月に行われた献堂式にも出席させて頂いたのである。(先生は私どもに「一緒にやっていかないか」とおっしゃって下さったが、丹羽は辞退した)

 武本喜代蔵先生は相見三郎先生と提携され、霊化教会、霊化友の会、神癒聖会等で活躍しておられたが、1956年6月26日、84歳で召天された。そのご葬儀には、弟子代表として丹羽がお別れの辞をのべさせて頂いたのである。

(武本喜代蔵著『歓喜にあふれて』参照)



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