読者のご要望もあり、書籍「久遠基督教会五十年の歩み」よりの記事を随時掲載いたします。
これは1994年4月に刊行されたものです。

  
        久 遠 基 督 教 会 前 史 ()

当初、丹羽は賀川豊彦先生の捨て身の伝道を尊敬し、彼自身不遇な環境に育ったこともあって、自分も小さいながら、スラム街に飛び込むか、農村伝道をしたいと願っており、私にもそんな歩みについて来られるかと問い、私も自分には何の才能も学問もないが、ただ主のためにはどんな貧乏暮らしも厭(いと)わない決意のあることを語り、祈りあって来たのであった。

しかし、思いがけない導きの中で、無教会の先生方との交流を通して、彼の中に新しい歩みの方向が示され、聖書のみの信仰をさらに深く学びとることが願われ、阿佐ヶ谷での生活が始まった時から、二人は自宅から歩いて行かれる上荻の石原兵永先生宅での聖書集会に出席させて頂くことになったのである。程なく石原聖書研究会は、先生宅から淀橋公会堂の一室に移り、さらに畔上先生御召天後は、その集会の跡の青山青年会館の一室にて行われたのであるが、引き続いて毎日曜集わせて頂き、司会その他の奉仕をしながら、ご指導を受けたのであった。そして1939年(昭和
14年)クリスマス集会を最後として退会させて頂いたが、石原先生にはその後も『聖書の言』誌等を通してお導きと励ましを頂いたのである。

一つの集会が発足するには必ずその原点があり、一つの魂の救いから始まっているのであるが、この阿佐ヶ谷の地に久遠基督教会が発足し、種々なる変遷をみながらも、主の導きの中で今日まで存続させられ、福音宣教のために用いられていることを思う時、五十数年前に始められたビルの屋上での小さな集会の上に御目を留めて下さった活ける主の御業を誉めたたえずにはおられない。その経過について記しておきたいと思う。


 1929年
(昭和4年)に受洗してから、かつては首うなだれ、望みなく打ちしおれていた私は、救われて一変し、勤務先である丸の内の電電公社屋上は、最上の祈りの場となったのである。朝毎に、昼休みに、また夕方にと、聖書をひもとき、讃美と祈りを捧げ、続けて行った時、奇しくも一つの魂が引き寄せられ、次々にその輪が広げられ、十数名の集まりにまでなった頃、私は丹羽との結婚を与えられたのであった。

そして、特に熱心な求めのある数名の者が、ぜひ日曜日に聖書の話を聞かせてほしいと願い、その切望に促(うなが)されて、1938年(昭和13)3月、阿佐谷のわが家を解放し、求道者の集まりを、まず第一、第三日曜の午後に持つことになった。丹羽が原稿を書き、私は謄写印刷をして求道会案内のチラシを作ったものである。集まって来たメンバーは、屋上集会からの数名と本郷神の教会日曜学校の生徒たち二、三名であったが、特に最初の一人・石川ひで子姉はひたむきであった。あのイエス様の膝元で御言葉に聞き入ったマリヤのように、御言葉を切に求める姿に、丹羽もまた心をこめて時を忘れて語り続けたのである。そこに事は起こり、妹たち、友人、知人へと福音の種は蒔かれて行き、初めてのクリスマス集会は十数名で持つことが出来たのである。

しかし、この頃に一つの痛恨の出来事が起きたのである。私の義兄の姪が東京で就職したいとの事で、この家に迎え、電電公社に勤めるようになり、求道者の一人として導かれていたのだが、田舎から急に都会生活に入った若い体はいつしか病に冒(おか)され、帰郷し、しばらくしてついに地上を旅立ってしまったことは、二人にとって忘れられない痛みであった。けれどもまたこの姪を通して、その上司であった近藤テイ姉との出会いが与えられた事は感謝である。テイ姉はその頃他教会に属しておられたが、時折来訪、親しい交わりをし、十数年後には当方の交わりに加わって来られたのである。


また1937年
(昭和12年)5月、私は身体に異常をおぼえ、受診の結果、開腹手術を受けなければならぬことになり、もはや子宝に恵まれぬ身となった。この事実に直面した丹羽の心境は如何(いか)ばかりであったか。医師の忠告で、妻には当分の間、告知しないという約束のため、独り如何に悩み、祈り、訴えた事であろうか。しかし、その当時の心境を親友・中浜慶男兄に語った言葉を後年耳にしたのである。「自分は情に脆(もろ)い人間であるから、もしわが子を恵まれ、抱いたら、どんなに捉(とら)われてしまうことだろう。だから余念なくひたすら伝道に専念させるための神様のみこころだと思う」云々。この時、彼はさらにこの事を通して献身を新たにされたと知る。

しかし、愛なる神は、このような二人の生涯に、次々と愛する娘たちをおくって下さったのである。綾子、一枝、君江、知子の四人が、それぞれの事情の中から丹羽の家の一員として迎えられ、成長し、主を信じ、長じてのち、ふさわしい半身が与えられ、主にある家庭を持たせて頂いたのである。と共に、二人にとっては教会員の一人一人は主の与えて下さった大切な大家族であり、喜びも悲しみも共にしつつ、神の御名をほめたたえて歩まされたのである。


(神のみこころを行なう人はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです〉

                               (マルコ3章35節) 

                                  

                −以下続く−





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