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 「今の環境だからできることを」

 「私は、どんな境遇にあっても満足することを学びました…私は、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています」(ピリピ4章11~12節)

 緊急事態宣言が解除されましたが、依然、新型コロナウイルス感染への注意喚起を受けています。

 長い自粛生活が続いていますが、それも神様のご計画の中にあることと信じるなら 好機と捉えることができます。

 パウロは、逆境の時にも順境の時にも、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ていました(12節)。

 迫害のため投獄されても、「神のことばはつながれていません」(IIテモテ2章9節)と言って、手紙を書いて人々を励ましたり、訪問してくる人たちにキリストを証ししました。

 これまでのように公の場で福音を語ることができなくても、その環境でできる方法で福音を伝えていきました。

 「私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです」(13節)の信仰に立って、「今の環境でもできることはある、今の環境だからこそできることがある」と受け取ったのです。

 新型コロナウイルスの感染拡大により、これまでできたことができなくなりました。それでもできることは沢山あります。できないことに目を留めず、できることに向きを変えましょう。

 これからの教会のあり方を考える上でも、福音宣教と教会の前進のために、今できることは何かを主に祈り求めましょう。

 その中で主から迫られたことを実行していくなら、コロナ感染拡大前には想像もしなかった神の新しいみわざを見ることでしょう。

 ペンテコステにも語られたように、「皆の益となるために」一人ひとりに御霊の賜物が与えられています(Iコリント12章7節)。

 神様が一人ひとりに促しておられることこそ御霊の賜物です。今与えられているわずかな物に忠実でありましょう(マタイ25章21節)。




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 「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。

 それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です」 (ローマ12章1節)

 今までのように 集まって礼拝ができなくなり、それぞれの場所で それぞれの方法で皆様礼拝を守っておられることと思います。

 ライブ配信、音声メッセージ、礼拝メッセージ要約を用いてなど、形はどうであっても 神は私たちに「からだを献げる礼拝」を求めておられます。

 神の御前に立ち、主体的に自分自身を献げていく礼拝の喜びを、今こそ体験しましょう。

 罪を完全にきよめてくださるイエス・キリストを見上げる時に、神は罪だらけの私たちをも「神に喜ばれる聖なる者」としてくださいます。

 自分を綺麗に取り繕うことをやめ、真実な姿で 神の御前に行きましょう。私たちの罪を取り除くことができるのは 主イエスの血潮だけです。

 「自分のからだを献げる、ふさわしい礼拝」とはどのようなことなのか、毎週礼拝ごとに神に問いかけながら、王なる神にひれ伏す思いで礼拝をささげましょう。

 今月も キリストの尊い十字架の血潮により贖われた者として この存在を 日々神に献げましょう。

 皆様のご健康が守られますように、そして主を愛し喜んで主に仕える思いが、この時に増し加えられますよう祈っております。





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 「まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。

 今がその時です。父はそのような人たちを、ご自分を礼拝する者として求めておられるのです」(ヨハネ福音書4:23)

  新型コロナウイルス感染予防のため、共に集まって礼拝することができなくなりました。改めて 共に礼拝できることが 当然ではないこと、大きな恵みであったことを実感しています。

 今 それぞれの場所で礼拝をささげる中で、神を礼拝するとはどのようなことなのかを一人ひとりが神から問われています。

 神は 「まことの礼拝者」を求めておられます。まことの礼拝者とは、「父を礼拝する者」です。

 私たちは今、御霊の助けと真理なるイエス・キリストを通して、父なる神を礼拝することができます。

 キリストを通して、エルサレムの神殿でも阿佐ヶ谷の教会でもなく、今置かれた場所で 父なる神を礼拝することができるのです(4:21)。

 たとえ教会に来ても、父を礼拝していないなら、まことの礼拝とは言えません。

 しかし父なる神を礼拝するなら、その場所こそがまことの礼拝をささげる神殿となります。

 教会に集まることが困難な中で、「御霊と真理によって父を礼拝」することを学びましょう。

 「砕かれた心をいけにえとしてささげる」礼拝に導いていただきましょう(詩篇51:17)。

 神は今こそ、まことの礼拝者を求めておられるのです。





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 「約束してくださった方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白し続けようではありませんか」(ヘブル10:23)

 新型コロナウィルスが猛威を振るっています。

 終末に方々に疫病が起こることは主イエスが予告しておられる通りです(ルカ21:11)。

 お互いの健康のため、また地域や身近な方への証しのため、配慮ある行動をとりつつも、真実な神が共におられることをしっかり心に留めましょう。

 必要以上に周囲の情報に動揺することなく、しっかりと主にある救いと神の国の希望を告白し続けましょう。

 この期間 自由に集まることが難しくなりますが、一人ひとりがどのような状況でも主を見上げて力を得る訓練の時としましょう。

 また集まることが難しい時でも主にある希望を互いに告白する交わり方をこの機会に見つけましょう。

 「見よ、わたしは新しいことを行う。今、それが芽生えている」(イザヤ43:19)

 という今年のみことばが実現するために 今の時期が用いられると主に期待しています。





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 「わたしは潤いのない地に水を注ぎ、乾いたところに豊かな流れを注ぎ、わたしの霊をあなたの子孫に、わたしの祝福をあなたの末裔に注ぐ」(イザヤ44:3)

 今年「見よ。わたしは新しいことを行う」と語ってくださつた主は、「わたしの霊を注ぐ」と約束してくださいました。

 反逆の民であったにもかかわらず、神はイスラエルを罪から贖ってくださいました。

 罪の結果である荒野のような苦しい場所を私たちは通りますが、その「潤いのない地」に水を注ぎ、「乾いたところ」に豊かな流れを神は注いでくださいます。

 神の霊は私たちの飢え渇いた心に注がれます。「満たされてもう十分です」というところではなく、カラカラに渇いてどうしようもない心に主の霊は注がれます。

 飢え渇きをもって主に向かうなら、主が私たちの心に、そしてその子孫、末裔にまで、主の霊を注いでくださいます。

 主は、ご自身の民に聖霊を注いで、新しいことを行われます。地上の何物も満たすことができない 心の飢え渇きをもって主に向かいましょう。

 潤いのない地、乾いたところにこそ、主の霊は豊かに注がれます。





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 「見よ、わたしは新しいことを行う。今、それが芽生えている」(イザヤ43:19)

 新年おめでとうございます。

 今年は久遠キリスト教会創立80周年です。

 ここまで主が守り導いてくださったことを感謝するとともに、これから主がなさることに期待しましょう。

 イスラエルの人々は、出エジプトの時に主が行われたみわざを絶えず思い起こしましたが、ここでは出エジプトの出来事さえも「目を留めるな」と言われています(16〜18節)。

 あの時とは全く違う新しいことを主は行われるのです。

 見えるところは荒野のように何も良いものが見当たらない場所で、神はご自身のわざを行われます。

 荒野がスタートです。

 何も無い荒野を私たちが見るときにも、「今それが芽生えている」と主は宣言されるのです。

 私たちが主に出会ったのも、荒野のような場所でした。

 主は「必ず荒野に道を」設けてくださいます(19節b)。

 見える状況が良くなった時にではなく、まだ荒野のような不毛地帯にいるところで、主の新しいみわざが始まり芽生えていることを信じましょう。

 今年のテーマ: 主がなさる新しいこと : 

 目標  

 ①主がなさる新しいことに期待しよう。

 ②今芽生えていることに目を留めよう。

 ③荒野に道ができることを信じて主に仕えよう。





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