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 「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、
私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか」(ヘブル12:1)

 毎年6月には召天者記念礼拝があります。信仰を貫き通した方々の最期は どこか清々しさを感じます。

 彼らは、神を信じて生きることの素晴らしさ、またかん難の中でも希望を失わないことを、キリストの証人として今も思い出させてくださいます。

 この地上でなお生かされている私たちも、様々な重荷や罪がまとわりついてきますが、多くのキリストの証人たちのように絶えずそれらを後ろにして、
前に向かって走り続けましょう。

 信仰の創始者であり完成者であるイエスから目を離さずにいましょう(12:2)。

 神のことばの真実を証言してくださった人々のことばと態度を思い起こし、私たちの前に置かれている競争を忍耐をもって走り続けましょう。

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 イエスは彼らに息を吹きかけて言われた「聖霊を受けなさい」(ヨハネの福音書20:22)

 今月はペンテコステ(聖霊降臨日)を迎えます。

 かねてから主イエスが予告しておられた通り 助け主 聖霊がイエスの弟子たちに注がれ 彼らは力強く復活の主を証していきます。

 死からよみがえられた主イエスが「聖霊を受けなさい」と命じておられるのですから私たちも 受けましょう。

 「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。

 そして地の果てにまで キリストの証人となります」(使徒の働き1:8) 復活のキリストの証人となるために 聖霊は私たちに力を与えてくださいます。

 自分を誇るためではなく キリストを証するために与えられる力です。

 自分の周囲に起きている様々な問題が解決したり 助けが与えられることも 福音宣教のためです。

 ですから どのようなことも キリストの栄光のために祈り 聖霊の助けを求めましょう!

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 「私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。

 途方にくれていますが、行きづまることはありません」(IIコリント4:8)

 私たちは 生きている限り 苦難があり 途方に暮れるようなことがあります。

 しかし 死からよみがえられた復活の主は 今も生きておられます。

 この方を信じる者は 決して窮することなく行きづまることはありません。

 苦しい場所で、途方にくれている時にこそ キリストの復活の力を体験するからです。

 苦しい時、途方にくれている時に、「主イエスが共におられるから 私は決して窮することはない、決して行きづまることはない」と宣言しましょう。

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 「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。

 わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです」(マルコ2:17)

 これは、律法学者たちから、「なぜイエスが取税人や罪人たちといっしょに食事をするのか」と聞かれた時のイエスの答えです。

 律法学者たちは 自分たちは正しいから 罪がきよめられる必要はないと思っていました。

 そして 取税人や罪人と呼ばれていた人たちと関わらないことで 自分をきよく保ち続けられると思い込んでいました。

 しかし イエスが共に食事をした取税人や罪人と呼ばれた人たちは、自分が正真正銘の罪人であることを認め 罪をきよめられたいと 願っていました。

 ですから イエスに出会って イエスこそ罪をきよめ、癒してくださる医者だとわかったのです。

 イエスは 病人を救うために来られました。全身罪の病に冒され、イエスしかこの病を癒すことはできないと知って イエスの元に来る人を、いつでも診てくださりきよめてくださるのです。

 イエスを信じる者は、十字架の血潮により全身はきよめられています。でも毎日足が汚れるのでイエスに洗い続けていただく必要があります(ヨハネの福音書13:10) 自分の罪を認めて今日も明日も、イエスに診ていただき、足を洗っていただきましょう。

 律法学者たちのように 自分の義を言い立てるのをやめましょう。 キリストは、罪人を救うために来られました。

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 「あなたの救いの喜びを、私に返し、喜んで仕える霊が、私をささえますように」(詩篇51:12)

 キリストは、罪人を救ってくださる方です(Iテモテ1:15)。

 罪を認めてキリストに救いを求めるなら 救いの喜びが与えられます。

 救いの喜びを経験した者は、喜んで神に仕える者となります。

 でも 時間が経つと 様々なことでその喜びが失せてしまう時があります。

 神との距離を感じてしまう時があるのです。

 ダビデの場合は 実際に罪を犯し、喜びが失われ心が枯れ果てていきました。

 神との関係回復を願って、その赦しときよめを神に求めました。

 そして いつしか失われていた「救いの喜びを、私に返してください」「生き生きとした神との親しい関係を回復して、喜んで主に仕えることができるようにしてください」と祈り求めます。

 「救いの喜び」が、主に仕える根底にあります。

 今救いの喜びがありますか?喜んで主に仕える気持ちがありますか?もしもそれを失って主との間に隔てを感じるなら、霊的に枯渇している状態です。

 「救いの喜びを返してください」と真剣に祈りましょう。

 そして聖霊が、 仕える喜びで満たしてくださるように祈り求めましょう。

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 「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです」(Tテモテ1:15a)  

 新年おめでとうございます。

 イエス・キリストは、罪人を救うために世に来られました。

 「自分のような汚れた者は神に近づくことができない」と思う人を救うために来られたのです。

 キリストを信じてからもそのような思いになる時があります。

 しかし立派になって自分を整えてから神の前に出ようとしていたら、いつまでもこの救いはわかりません。

 調子が悪い時ほど、罪でボロボロだと思う時こそ、こんないい加減な信仰でどうしようもないと思う時こそ、キリストの元に行くなら、「このような自分をも救ってくださるキリスト」だとわかります。

 クリスチャンは、自分の義(正しさ)で立つのではなく、キリストの義で立つものです。

 「キリストが私たちにとっての義と聖めと贖い」となってくださったのです(Tコリント1:30)。

 どのような状態であっても、そのままでキリストの元に行きましょう。キリストが私たちを恵みによって変え続けてくださいます。

 今年のテーマは、「罪人のための救い」です。

 目標は

 @ 罪を認めてキリストを求めよう

 A キリストに罪赦された者として交わろう

 B 罪人を救ってくださるキリストを伝えよう

 です。

  「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」(Tテモテ1:15)ことを、あらゆる時に思い起こしましょう。

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