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 「主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった」(使徒の働き2:47)

 ペンテコステの日に聖霊が注がれ、教会が誕生しました。

 そして主は毎日救われる人々を仲間に加えてくださいました。

 キリストを信じ、その救いを受けた人々には、たえず共に主を見上げる仲間が必要です。

 神との一対一の交わりは大切ですが、同時に兄弟姉妹との交わりを通して、さらに信仰的に成長したり独りよがりな見方が変えられたりします。

 共に祈ることで、直面している出来事や思い煩いを 主の視点で見る訓練もされていきます。

 教会の交わりが 閉鎖的にならないように、新しく救われた人たちがしっかり交わりの中で成長していけるように互いに励まし合いましょう。

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 「神よ。あなたは私の神。私はあなたを切に求めます。 
 水のない、砂漠の衰え果てた地で、私のたましいは、あなたに渇き、私の身も、あなたを慕って気を失うばかりです」(詩篇63:1)

 神だけを切に求めるようにと、神は私たちを時々荒野に招かれます。

 荒野のような、不毛で何もない場所でこそ、神への気を失うばかりの渇きに気づかされます。

 一時的に渇きを癒すものはいくらでもありますが、また渇いてしまいます。

 しかし主イエスは、「わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません」(ヨハネ福音書4:14)と言われました。

 夏の暑い日に 喉の渇きを感じないことは 熱中症などを引き起こし危険です。

 同じように 魂の渇きに気づかないことは霊的に致命傷なのです。

 砂漠の衰え果てた地で 神への渇きに気づいて 「私はあなたを切に求めます」と叫びましょう。

 神との親密な交わりで力を回復しましょう。

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 「機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです」(エペソ5:16)

 私たちは 暗やみの勢力が働く時代を生きています。

 「主のみこころは何であるか」(5:17)をたえず問いかけながら生きないと すぐにサタンが放つ火矢(6:16)にやられてしまいます。

 この時代に生きる者として、与えられた「機会を十分に生かして用いなさい」とパウロは命じています。

 それが「賢い人」(5:15)の生き方です。 悪い時代からこそ、人々が救われるために 主から与えられた機会は最大限に用いましょう。

 また私たち自身の信仰の成長のためにも、与えられた機会を十分に用いましょう。

 今月はラブ・ソナタ東京が開催されます。

 この機会を生かして、人々の救いのため、また一人ひとりの成長のため、日本の信仰復興のため、祈りましょう。

 主が備えてくださった あらゆる機会を十分に生かして用いましょう!

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 「あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行ったからですか。それとも信仰をもって聞いたからですか」(ガラテヤ3:2)

 ペンテコステを迎えるこの月、聖霊が一人ひとりに、また教会に豊かに注がれますように祈りましょう。

 父なる神は、求める人たちに聖霊を与えて下さいます(ルカ11:13)。

 律法を行なうことによってではなく信仰をもって主の言葉を聞く時に、御霊は与えられます。

 今自分がどのように状態であっても、聖霊を求めましょう。

 さらにはっきりと具体的に聖霊を体験し、そこで留まることなく、いよいよ御霊に満たされ(エペソ5:18)、御霊によって歩み続けましょう(ガラテヤ5:16)。

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 「しかし、ついには、上から霊が私たちに注がれ、荒野が果樹園となり、果樹園が森とみなされるようになる」(イザヤ32:15)

 ペンテコステ(聖霊降臨日)を待ち望むこの月、主の霊が豊かに教会に、一人ひとりに、また身近な者たちの上に注がれますように祈り求めましょう。

 私たちは日々聖霊の助けを受けていますが、特に荒野のような荒んだ何も無い場所で、渇ききった中で、聖霊の特別な扱いを受けることがあります。

 神はいつになったらこの荒野から解放してくださるのかと、悶々とすることもあるのです。

 でも「ついには、上から霊が私たちに注がれ」る時が来ます。主の約束を信じて待ち望みましょう。

 その時に荒野は果樹園となり、果樹園にとどまらず、森のように生い茂ります。

 自分自身、また周囲の荒野を、主の霊注がれて果樹園に、そして森に変えてくださるとの約束を信じて、具体的な祈りを続けましょう。

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 「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです」(ガラテヤ2:20)

 今月は 受難週、復活節を迎えます。キリストの十字架の死と復活は、私たちの救いの土台であると同時に、生き方の土台でもあります。

 私たちの罪のために 十字架の苦難の道を、神の子があえて歩まれたことは、私たちが迷う時、また人間関係の中で悩む時にも、知恵や励ましを与えます。

  死からよみがえられたキリストを信じるなら、行き詰まった時、道が閉ざされた時にも、なお希望が与えられます。

 事あるごとに、「私はキリストとともに十字架で死んだものだ」と認めることは、様々な世のとらわれ、自分の古い肉の思いから絶えず解放していきます。

 「キリストが私のうちに生きておられる」ことを認めるなら、悩みや試練の中でも、キリストの復活の力を受けていくことができます。

 キリストの十字架の死と復活が、自分自身の出来事となるように求めましょう。

 十字架で、古い私はすでに死んだこと、死からよみがえられたキリストが私のうちに生きておられることを、はっきり受け取りましょう。

 毎日キリストの死と復活を体験しましょう。

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 「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。
 自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい」(ピリピ2:3〜4)

 「キリストのからだ」の交わりの中で、私たちは「自己中心や虚栄」に満ちた自分の姿に気づきます。

 それは古い肉の残骸なのです。それを生かしていく時には、交わりを損ない人間関係を難しくしていきます。 み

 ことばでは 、そこに留まるのではなく「へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい」と命じられています。

 まず「自己中心と虚栄」が自分の中にあることを認めましょう。

 古い肉の残骸ですから、御霊に絶えず処分していただきましょう(つまり認めて御霊の助けを求めて祈りましょう)。

 自分のことしか考えられないのが私たちの実態ですが、それでよしとするのではなく「他の人のことも顧みる」生き方に変えていただきましょう。

 それは主イエスが私たちのためにしてくださったことです(5〜8節)。また主が私たちに願っておられる生き方です。

 御霊が一人ひとりを砕き、交わりを通して成長させてくださいます。

 互いを認め合い、尊び、顧みる成熟した「キリストのからだ」へと主が導いてくださいますように!

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 「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです」(エペソ1:23)

 神は教会に、「いっさいのものの上に立つかしらであるキリスト」をお与えになりました(22節)。

 教会のかしらはキリストであり、教会は「キリストが満ちておられるところ」なのです。

 キリストは、ご自身のからだのために、「いっさいのものをいっさいのものによって」満たしてくださいます。

 あらゆる人、物を用いて、キリストはご自身のからだである教会を成長させられます。

 この方に求めていくなら、必要なものは全て与えられていくのです。

 そのキリストの権威のもとに、私たちはいるのです。

 ですから、キリストが私たちの足りないところ、教会の不足しているところを、必ず満たしてくださいます。

 キリストを信じましょう。いっさいのものを満たすキリストをたえず見上げましょう。

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 「あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです」(第一コリント2:27)

 主にあって、新年おめでとうございます。 キリストが私たちの教会の主として導いてくださることを感謝いたします。

 今年は教会も様々な変化を迎えます。

 これまで当然と思っていたことが、そうではなくなったり、誰かが何とかしてくれるだろうと皆が思っていたら、動かなくなることも生じるかもしれません。

 改めて「キリストのからだ」としての教会を意識する年になることでしょう。

 いよいよ教会のために主なる方に祈り、またその中で「からだの器官」として一人ひとりに与えられている役割を果たしてまいりましょう。

 2017年のテーマは、「キリストのからだ」です。

 目標

 @日々、キリストを私の主と告白しよう

 A「キリストのからだ」としての交わりを大切にしよう

 B「キリストのからだ」の器官としての役割を果たそう

 かしらなるキリストにしっかり繋がらなければ、何をしても肉の実を結ぶばかりで空回りしてしまいます。

 キリストに祈り求め、キリストの言葉を受け取り、示されたことは大胆に実行しましょう。

 キリストは、ご自身のからだである教会のために、そして神の国が全地に広がるために、救われたすべての人をお用いになります。


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